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それ、過去の武勇伝ですよね…と思われても話す理由

60代後半から70歳になった今、
自分でも気づくことがある。

つい、現役時代にやってきたことを
自慢げに話している自分がいる。

お酒が入ると、なおさら止まらない。

――ああ、これが「過去の武勇伝」か。

聞く側からすれば、
「もういいよ…」と思う話かもしれない。

でも正直に言えば、
僕の人生は順風満帆ではなかった。

うまくいかなかった時間が長かったからこそ、
たどり着けたうまくいった話
つい話したくなる。

それでも、
聞かされる側にとっては煩わしい――
そう思われるのも、よくわかっている。

それでも今回は、
「過去の武勇伝を語ること」に、
実はどんな意味やメリットがあるのか

あえて考えてみたい。

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なぜ武勇伝は、嫌がられるのか

理由は単純だ。

話の中心が、
「今」ではなく「過去」にあるからだ。

しかも、
成功した話
評価された話
認められた話
ばかりが続く。

聞く側は、
比べられているような気がしたり、
教えられているように感じたりする。

だから、
「過去の武勇伝」は
煙たがられる。

これは、
誰が悪いという話ではない。

ただ、時代と立場が違うだけだ。

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それでも、話したくなる理由

それでも正直に言えば、
僕の人生は順風満帆ではなかった。

うまくいかない時期のほうが長く、
悔しい思いも、情けない経験も
山ほどある。

だからこそ、
ようやくたどり着いた
「うまくいった話」を
話したくなる。

あれは偶然じゃなかった。
あの時、踏ん張ったから今がある。

そうやって、
自分の人生を
自分で肯定したいのかもしれない。

武勇伝とは、
自慢話というより、
自分自身への確認作業なのだと思う。

過去を語る、本当の意味

ただし、
武勇伝が生きるかどうかは、
「話し方」で決まる。

成果を誇る話ではなく、
失敗や迷いも含めて語る。

「俺はすごかった」ではなく、
「あの頃は必死だった」。

教えるのではなく、
残すつもりで話す。

そうすると、
武勇伝は
経験談に変わる。

聞く側にとっても、
「参考になる話」になる。

武勇伝は、誰のために語るのか

70代になって思う。

過去の話は、
自分を大きく見せるためではなく、
自分がどう生きてきたかを、
静かに整理するため
にあるのではないか。

そして、
もし誰かが耳を傾けてくれたなら、
それは幸運なことだ。

無理に聞かせる必要はない。
求められたときだけ、
そっと差し出せばいい。

それでも、話していい

「それ、過去の武勇伝ですよね」

そう思われるかもしれない。
それでもいい。

人生を振り返り、
言葉にすること自体に、
意味がある。

70代になった今だからこそ、
過去を語る資格がある。

ただし、
少しだけ謙虚に。
少しだけ、静かに。

それが、
これからの武勇伝の
ちょうどいい形なのかもしれない。

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