現役時代は目標があった。だらかそれに向かって一心不乱にがんばってきた。
でも、現役時代からはなれて自由になると問題の可決がなかなか答えたが出ない。
人生には正解なんてないのだろうか・・・
そこで今回は人生のモヤモヤをどうするかについて60代が考えることをおつたえしたいと思います。
60才過ぎたらますます答えがでない?
現役時代は仕事でも家庭でも明確な目標がありました。
しかし、子育ても終わり、家のローンも終わり、両親の介護も終わり、夫婦二人だけになった。
そんな時、あんなに明確だった目標がみえなくなってしまった。
この先どう生きていくのか、モヤモヤして日々すごしているのが実情です。
そんな生き方がいいのか、夫婦で夜な夜な話し合うのですが、答えはありません。
でも、なんとか最後の人生をどう生きていくのかだけは、結論がでないのにいつも話し合っているのは不思議なことです。
人生に正解はないのか?
いろんな人と話してきました。
人はそれぞれに生き方を模索しているのだと感じます。
それは長年連れ添った夫婦でもそうだし、子供でも同じです。
人はそれぞれ自分の置かれた環境のもとで生き方を模索しているのです。
だから、10人入れば10人の生き方があるのでしょう。
自分の物差しで相手を見ると、もっとこうすれはいい!こうした方がいいよ!
などとついついアドバイスをしてしまうもの。
でも、本当は相手は自分の生き方を模索しているのだから心配はいらないのでしょう。
つまり、10人いれば10人の生き方があり、それぞれ模索しているのです。
だから答えはない。ということに60代後半になって気が付きました。
成果主義の現役時代からの変化
会社勤めをしていたころは、成果達成は目標達成にむけて 頑張ってきました。
つまり、人事評価は成果をもとに行う成果主義がベースだった。実際ぼくもそのようにして評価をしてきました。
でも、現場を離れ、だたのおっさんになったときその考えが変化してきました。
もう、肩書はないし、ふつうのひとりの60代のおっさんになったのだから。
現役時代の肩書などは、その時代のもの。
定年退職したらなんの効力も皆無になっているのが現実。
ひとりのおっさんになったとき、考えるのは、自分の生き方に初めて向き合うことです。
何にもなくなったおっさんが、一人でどんな自分と向き合うのかが老後の生き方につながると感じるのです。
60才過ぎたら迷いはメリットなのかも
人生40にして迷わず、50にして天命を知る。とは有名な孔子の残した言葉です。
60代は、40代も50代も通り越してきた年代。
だからこを、人生はこれで良かったのか?これで満足なのか?これからどう生きるのか?などと迷いがでてくるのでしす。
ぼくは、60才を過ぎて迷いが出たら、それはメリットだと思っています。
その理由は、年を重ねれば重ねるほど経験を積んでいるから。
逆に、現役時代の経験を見せびらかすのはやりたくない。
そこで自分の長年の経験を捨て去る時、はたしてぼくはどんな人間で何をしようとしているのかが見えなくなる一瞬と出会うのです。
迷うのは当然のことだと考えます。
60代の生き方の魅力
60代こそ悩みは当然だし、悩むこと、相手をそのまま受け入れることができる年代。
そこに60代がイキイキと悩みながら生きる価値があると実感しているこの頃です。
生成AIが出した答えは論理的なサジェスチョンですが、人間がモヤモヤして生み出した回答とは別物だと思えてなりません。
こらからの人生に向けて、答えの見つからない問題にぶつかりつつ、学び続けることが60代としての生き方かもしれないと考えています。
只今、ぼくは自分の60代の人生を模索てモヤモヤしている最中です。