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『墨で書く意味』最後まで残る記録媒体か?

この世の中らデジタル化がどんどん進化していますが、果たして自分が後世に残す記録としてふさわしいのでしょうか?

コンピュータ時代の始まり1970年代からエンジニアとしてデジタルと生きてきたぼくとしては、最近、デジタルの継続性について少し考えることが多くなりました。

60代のおっさんになったのでデジタルが面倒になってきたからかもしれませんが・・・

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古代から残る記録は墨で書かれている

紀元前3万5千年も前から現代まで残っている「ホーレ・フェルスの洞窟壁画」は有名です。

さらに古いのは、南アフリカで見つかった7万3000年前の落書きで、#(ハッシュタグ)のようなものです。

また、スペインでは6万5000年前のネアンデルタール人にとおもわれる幾何学的図形や手形などが発見されています。(参考記事:世界最古の絵画? 7万3000年前の石に描かれた模様)

では、墨で書かれてもので古いのはどんなものかを調べてみると、それは中国にありました。

紀元前14世紀の殷代中国で墨で書かれた文字が刻み込まれた卜占用亀甲獣骨に残る墨の跡です。

紀元前14世紀は、現在が紀元2021年だからそれよりも1400~1300年前。

約3400年ほどまえですかね・・・

もちろん何万年も前から現代まで残っている壁画などは、自然由来の鉱物などを材料にして書いてのでしょうね。

墨も自然由来のものなので、3400年が経過した現在でも残っているのです。

もちろん当時はデジタルは無いので比較はできませんが。

デジタルで記録したものはどうか?

デジタルで最初に出会ったのはワープロでした。コンピュータは大型だったので一般人は使えないのでワープロ専用機でした。

その後、手に届くようになって使われ始めたのがパソコンPC-98あたりでしょうか。

当時の記録媒体はフロッピーディスクでした。

当時のフロッピーディスクは、今はほとんど残っていないですね。

アナログではビデオデッキやテープレコーダーがありオープンリールやカセット型テープでした。

当時、一生懸命記録したあのVHSやベータマックス等のカセットテープやワープロに入力した記録は、今どこに残されているか分かりません。

ぼくのところに残っているのは、プリントアウトされた写真やアルバム、そして紙に書いた手書き文書です。

古い大切な手紙も残っています。

デジタル写真は見切れない・・

写真をデジタルカメラで撮り始めてから何年たつのでしょうか?

1980年代の終わりごろからデジタルカメラが出始め、画期的にデジタル化へと推し進めたのが、1995年3月に発売されたカシオの「QVー10」でした。

それから25年以上が経過して、いまやデジタル時代で何万枚も撮影して保存できるのです。

でも、なぜか家族で写真をみて「懐かしいね~」というのは、古いゴミを被ったアルバムです。

数年の間に撮影した数千枚のデジタル写真は、いったいこれから先どれ位のこるのでしょうか?

まして、PCに入力したデジタル文書や記録はどのように後世の家族に残していくことができるのでしょうか?

ちょっと立ち止まって考える時がありました。

自分史はノートにインクと墨で書いてみた

もちろんパソコンでA4のコピー用紙で数百枚になる「自分史」を10年以上かけて書いてきたのですが、パソコンに入っているだけです。

なので、全てをプリンターで印刷して紙の冊子にしてみました。

これなら、だれでもわが家の歴史を手に取ってみることができます。

何とか数十年は持つかもしれません。

ぼくが90代でもまだ生きているなら、その時代のデジタル機器はきっと使えないでしょう。

でも、ノートなら何歳になっても手に取って見ることが可能です。IDもパスワードも電気もデジタル機器もいりません。

デジカメの写真もいいものだけを100年プリントとでもいうか、長持ちするように写真の専門店でプリントしてもらいました。

そこで記録をノートにインクと墨を使って書いてみたのです。

久しぶりに手書きで書くと、ほんのりとインクの香りや墨の香りがするのです。

そこに書かれた文字の1文字1文字が大切に感じてきます。

現代はストリーミング時代かもしれない

パソコンやスマホで見る動画は保存したものではなく、ネットを通じて流れてくるのを見ると消えていく「ストリーミング」のタイプです。

だから、手元には録画しない限り残りません。再度見たくなったらまたアクセスして垂れ流しの動画を見るのです。なので記録ではないのですね。

後世に残すという記録を現代人には必要がないかも知れません。

刻々と変化する時代のスピードの中で情報を取得していくには、どんどん入ってくる情報を見ては捨て見ては捨てるスタイルへと変化しています。

少し前まではデータを自宅のPCのハードディスクに保存していましたが、今はほとんどが遠くにあるクラウドのサーバーの中にあり、どこにあるのかさえ分かりませんが、確実に保存されています。

個人でストックする必要性さえ感じなくなり、逆に個人でストックするとハードディスクが壊れたら終わりです。クラウドなら業者が責任をもってバックアップを取るので心配はいりませんね。

あえて紙に墨で書いて残す面白さ

こんな進化した時代だからこそ、ノートに鉛筆や万年筆、ボールペン、墨などで手書きで書いて保存することが面白くなってきました。

もしエンディングノートがパソコンにはいっていたらどうでしょうか?

いざという時にパソコンのIDやパスワードで開き、どこにしまってあるかを調べないと出てきません。

しかし、ノートなら停電でも見れるし、パスワードも不要でいつでもだれでもすぐに手に取ってみることができます。

大事なものなら家庭用耐火金庫にでも入れて保管、カギだけを誰でもわかる場所に置いておく方法もあります。

それなら、電気が不要で何年でも持ちます。

我が家の親の時代からの書類は金庫の中ですでに40年も無傷できれいに残っています。

金庫を開けると、その中は何十年もタイムスリップするのです。現代のタイムマシンです。

デジタルで保管したデータはヴァーチャルなのでパソコンの外にアウトプットしない限り手に取ることはできません。

デジタルの基本は聴くことと見ることだけですね。

こんな時代だかれこそ、紙に手書きで記録を残すことの大切さが見えてきました。

絵画で残す手もありますね・・・

生きた証を残すには1枚の絵がいいかもしれません。

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