旧街道や宿場町をウォーキングするコツはあるのでしょうか?
そこで今回は、宿場町や旧街道をウォーキングしつつ、先人たちの旅を追体験する方法を紹介します。
旧街道と宿場町の存在した意義やその成り立ち、旧街道や宿場町の探し方も紹介します。
難所も多く今でも当時の苦労を追体験出来る旧街道や宿場町。
先人たちの旅の痕跡が刻まれた街道をウォーキングしてはいかがでしょうか。
宿場町をウォーキング!
旧街道を歩くと町の中を歩いているのになぜかその場所だけ異空間のように感じることができてどこか心地よさが残ります。
また興味が深まれば別の街道も歩きたくなります。
全国の街道や宿場町を歩きスタンプラリーのようにコンプリートする楽しさにハマってしまうこと間違いありません。
この記事では旧街道とはなにか宿場町となにかを簡単に紹介する内容です。
日本には江戸幕府により管理された主要道路の五街道。
五街道の旧ルートや街道から分岐した脇街道などを旧街道とよんでいます。
その街道に沿って点在する宿場にできた宿場町は現代でもまだ当時の文化が残っていています。
五街道の旧街道に限らず様々な旧街道と宿場町を知れば、実際に歩いて昔の人々が同じように往来した当時のことが蘇ってくるのではないでしょうか。
旧街道と宿場町で先人たちの旅を知る
始めに旧街道と宿場町とは何かを調べてみましょう。
旧街道と宿場町の2つに分けて順番に説明します。
旧街道とは?
東海道・中山道(中仙道)・甲州街道(甲州道中)・日光街道(日光道中)・奥州街道(奥州道中)は五街道として知られています。
五街道は江戸幕府の道中奉行により管理された主要道路で今も当時の歴史の面影をいたるところにに残しています。
また脇街道があり五街道から分岐したり大きな街道から分かれた街道を言います。
旧街道は最初にあったルートのこと。
後に整備された大きな主要道路からは少し外れていたり山中を通っていることもあります。
旧街道(旧道・旧ルート)は一般的に山岳地帯を通ることが多いです。
その理由は、渡るのが困難な川を避けるため。
当時は河川整備技術がまだまだであったため川はとても氾濫しやすかった。
なので旧街道は川を避けるように通っていたのです。
そのため旧道が現代の堤防の上を通らずに山の中腹を通っていることも知られています。
宿場町とは?
宿場町とは何かをウィキペディアで調べてみました。
次の様な説明があります。
宿場(しゅくば)とは、主に江戸時代、五街道や脇往還において駅逓事務を取り扱うため設定された町場をいう。宿駅ともいい、古代、奈良時代・平安時代から駅馬・伝馬の制度によって整備されていった。また、宿場を中心に形成された町を宿場町(しゅくばまち)と呼ぶ。
引用:ウィキペディア
駅逓(えきてい)事務
五街道や脇往還には宿場という「駅逓(えきてい)事務」を取り扱うの拠点があったのです。
「駅逓事務」とは宿場から宿場へ荷物を送りと置ける仕事のこと。
江戸時代に宿駅伝馬制度が定められてからのことです。現代の物流の中継地点ですね。
この宿場の周りで出来たのが宿場町です。
街道を往来する旅人を宿屋に泊めたり、休ませたりするという役割がありました。
一方駅逓という最も重要な役割は隣の宿場から運ばれてきた公用の荷物や通信物を次の宿場まで運ぶこどです。
その理由から宿場には、
- 本陣、脇本陣、旅籠などの宿泊施設
- 継ぎ送り業務を行う問屋場
が中心となっています。
中国の明の時代の郵駅として統一的に整備したのと似ています。
旧街道と宿場町はどう探すのか?
「旧街道をどの様に探すのか」「宿場町をどう見つけるのか」の方法を紹介します。
旧街道の探し方
旧道をたどると宿場町を探すことが比較的簡単です。
街道(国道)を車で走っていると途中で二股があることに気付きます。
二股に分かれるところでは国道がカーブするのですがカーブの手前から国道から外れてまっすぐに伸びている細道が旧街道になります。
「日本の旧街道ー日本の旧街道一覧」という茅沼呼人氏が作成されたサイトは有名。
国内の旧街道が地図で紹介されていますのでこのサイトで調べることが便利です。
gpscycling:https://gpscycling.net/
宿場町の探し方とウォーキング
宿場町には土産店や歴史あるそば屋などがあり歴史を肌で感じることができます。
宿場町は街道あるいは旧街道に沿って街並みがあります。
有名な宿場町はネットで検索すれば殆どが見つかります。
五街道沿いの宿場町には全てが紹介されているので簡単に見つかります。
街の端から端まで歩ける距離なので雰囲気を楽しみながらウォーキング。
街道沿いに進むと古い町並みを見つけることは簡単です。
先人たちの旅を追体験できる宿場町
どのように先人たちは旅をつづけたのか、追体験してみてはいかがでしょうか?
そのためには、宿場町を実際に歩いてみると、いたるところに痕跡が残っています。
ぼくが最近歩いた旧街道と宿場町の例を紹介します。
イメージがつかめるかもしれませんね。
(1)中山道 小田井宿(長野)
小田井宿は旅籠5軒程度の小さな宿場でした。
大名夫人や姫君などは小田井宿に泊まることが多く 別名『姫の宿』 の名を持つ宿場でした。
追分宿は歓楽地的な要素が強かった宿場町として知られています。
そのため姫や大名婦人たちが安心し宿泊できる宿として小田井宿があったのです。
所在地:長野県北佐久郡御代田町大字御代田
所在地:長野県北佐久郡軽井沢町大字追分
(2)さば街道の途中にある熊川宿(福井)
若狭街道は小浜から若狭町(旧上中町)の日笠を通ります。
そして熊川を経て滋賀県高島市朽木(旧朽木村)を越え、大原八瀬の三千院あたりから京都へ入る街道のことです。
小浜から見て「京は遠ても十八里」と言われたほど京都とは関係の深い土地なのです。
小浜で水揚げされた魚(サバ)は背負子に入れて歩いて運んだと言われています。
なんと京都まで一昼夜歩いて運んだという記録が残されています。
その重さは40㎏~60㎏もあったそうです。
小浜で獲れたサバにひと塩し夜を徹して京都まで運びました。
その間に塩が程よく効いてきて、京都に着いたころには最も良い味になったようです。
熊川宿は、重要伝統的建造物群保存地区に選定。
平成27年には熊川宿を含む若狭街道(鯖街道)が「~御食国若狭と鯖街道~」として日本遺産に認定されました。
熊川というところはもともとは戸数40ほどの小さな寒村であったのです。
江戸時代に近江の国境に接する宿場町として大いに繁栄しました。
所在地:福井県三方上中郡若狭町熊川
宿場町をウォーキングのまとめ
旧街道と宿場町を探してウォーキングする方法を紹介しました。
いまでも根付いている当時の様々な文化を知ることができる生きた歴史館のようです。