人は生まれたとき「おひとり様」、この世を去るとき「おひとり様」。
つまり、生まれてからこの世を去るまでの間は家族がいたり、夫婦2人だったり、同居人がいたり、またはおひとり様ではないかもしれません。
しかし、長い期間夫婦でいっしょに暮らしていると「おひとり様」だったことを忘れている可能性が高いのです。
本来は「おひとり様」であることを忘れてしまうと、どんなことが起こるのでしょうか・・・
みんなで一緒に!だけど、結局おひとり様
生まれてから学校を卒業して社会人になって、結婚して、子供ができて、定年退職になって・・・
そんなルートを歩いてきたぼくですが、「家族はみんな一緒にがんばろう!」と言いながら、いくつもの難局を乗り越えてきたものです。
そして、ゴールが見えて無事になんとか定年になって、いま生きているのです。
その間、確かに家族でみんなで協力してきたのですが、子供たちはみんな結婚して家にはいない。
両親は、介護することも無く太く生きてはやくに天国にいったし、ペットの犬も寿命を全うして天国にいってしまいました。
同居しているのは、ついに「女房」だけになったのです。
では、「二人でがんばっていこうか!」と粋がってみたのですが・・・
おひとり様を忘れた時に・・・
女房は、ここまでかなり自己犠牲を払いながら家族のために頑張ってきたと言います。
だから、老後は、いままでできなかっとことをやってみたいと・・・
だから、できれば「あなたも自分のやりたいことをして!わたしは私で」というのです。
つまり、老後も一緒にがんばるのではなく、お互いのそれぞれの道を自由に歩んでみたいということです。
これは、つまり熟年離婚ということか?
離婚はめんどうだし、体力がいるから、いまさらそれはしないと言うんです。
すこし安心したのです。突然言い渡さた友人もいたからね~
同居しつつそれぞれの生き方を生きるということなのでしょうか・・・
ではぼくは、どう生きればいいのだろうか?
老後の生き方のトレーニング
ぼくは「おひとり様」ということを、何十年も忘れていたようです。
女房の言う通り、人は夫婦でもそれぞれの生き方があって当然ですよね。
それが、錯覚を起こしたまま老後迄いるから、危ないのではないでしょうか?
一人で暮らしているのなら、部屋の掃除は自分でやります。でも、女房という相手がいると、「なんで掃除しないの!」と相手に行動を求めてしまいます。
これは「おひとり様」を忘れてしまったからではないか・・・
そもそも相手がいない「おひとり様」なのだから、なんでも自分でやることが普通ですよね。
相手が目の前にいないと、普通に自分でやっていることに気が付きます。
そんなわけで、女房はもういない「おひとり様」として暮してみようと始めました。
これは実に気も値が楽になりました!
相手がいない「おひとり様」なのだから、自分との対話ですすめることになります。
掃除も、風呂掃除も、トイレ掃除も、ご飯を作るのも、洗濯も、車の掃除も、窓ふきも、買い物も、なんでもぼくが自分でやることにしたのです。
その結果、実は相手を責めないばかりか、ぼく自身がスッキリ楽になりました!
女房は、いつしか最近始めたピアノを笑顔で弾いていました・・・