北海道には「函館ラーメン」があります。
観光でも人気のある函館で育った函館ラーメンにはどんな歴史があるのでしょうか?
今回はご当地「函館ラーメン」が生まれた背景や特徴を紹介します。
北海道ご当地「函館ラーメン」とは?
北海道には、ご当地ラーメンで有名な「札幌ラーメン」「旭川ラーメン」「函館ラーメン」があります。
札幌ラーメンは味噌ラーメンが生れた土地でもあり、いまや主流は味噌ラーメン。
また、旭川ラーメンはコクがあって冷めない醤油ラーメンが有名です。
ところが、ご当地・函館ラーメンは塩ラーメンが主流なのです。
さらに不思議なのは、地元の人たちは「函館ラーメン」と呼ぶ人は少なく、ラーメン、塩ラーメンが一般的です。
ご当地ラーメンの中で、塩ラーメンはかなり珍しい存在です。
少し謎が残る「函館ラーメン」には、どのような歴史と特徴があるのでしょうか?
ご当地・函館ラーメンのある街とは?
北海道の三大都市といえば、1位が人口196万8657人の札幌市、2位が33万5528人の旭川市、そして3番目が25万7085人の函館市です。(2019年5月1日現在)。
昭和10年の国勢調査までは、道内で1位だった記録を持っています。
札幌を超えた人口だったことは、当時は道外との交流もかなりあったのではないでしょうか?
それを裏付けるような歴史があります。
1859年(安政6年)に箱館(⋆)が開港すると、いち早く西洋文化を取り入れてきました。
(⋆)箱館が「函館」に改称されたのは、蝦夷地が北海道となった明治2年(1869年)です。
その影響は、エキゾチックで独特のモダンでレトロな雰囲気の街並みを形成していきました。
そして、人々の中にハイカラな生活が広まりました。
函館には今でも、ハリストス教会、元町カトリック教会、聖ヨハネ教会を始めとする異国文化がそのまま残っています。
このように海外に交易の門を開いた函館に根付いた、ご当地・函館ラーメンとは、どんな歴史をもっているのでしょうか?
参考サイト:函館市公式観光情報サイト「はこぶら」URL https://www.hakobura.jp/
ご当地・函館ラーメンの歴史
資料によると、「函館ラーメン」とは最近になっての呼称だったことが分かりました。
町おこしでつけられた呼称でした。
もともと歴史上は「塩ベース」のラーメンなので、地元でラーメンといえば塩ラーメンが当たり前だったようです。
メニューに「塩ラーメン」という呼称が出たのは、2000年ごろと言われています。
では、函館で塩ラーメンが作り始まったのはいつごろなのでしょうか?
ネット上の資料を集めてまとめてみると、1884年の函館の新聞に「南京そば」という文字が確認されています。
ただ、この当時を確認できるレシピなどは残っていないため、発祥の時期とする根拠が見つからないようです。
函館開港の時代には、函館に中国から買い出しに華僑が訪れていたといいます。
その時代に伝わったのではないかという説があります。
現在の函館ラーメンがまっすぐな面であることと、澄んだスープの特徴から推測すると広東系の塩味の湯麺がルーツではないかと言われています。
湯麺は「タンメン」と読みます。
中国料理のひとつで、茹でた中華麺に炒めた肉・野菜をのせて塩味のスープで仕上げたものです。
その時代の湯麵が、ほぼ形を変えることなく現代に残っているのが「函館ラーメン」ではないかと推測されています。
脈々と引き継がれてきた函館の塩ラーメンなのです。
ご当地・函館ラーメンの特徴
函館ラーメンの特徴は、ストレートな麺と透明な塩味のスープです。
スープは豚骨や鶏ガラ等のダシに塩タレを入れた透明な塩味に仕上げています。
中国の湯麵の特徴を持った、ご当地ならではの函館ラーメンですね。
具材は、チャーシューやメンマをのせただけの、いたってシンプルなものです。
まとめ
ここまで「北海道ご当地「函館ラーメン」の歴史。ご当地ラーメンで希少な塩スープ仕立」について、まとめてみました。
中国の当時の湯麵のスタイルが、今でも残っているのがご当地「函館ラーメン」の特徴だったことが分かりました。
また、ご当地ラーメンの中で、ごくまれな「塩ラーメン」の座も、今もってしっかりと定着していることも、ご当地ラーメン文化の継承なのかもしれませんね。