レシピが無いとも言われているほど、多種多様な組み合わせができる日本のラーメン。
欧米をでは、「Ramen」や「Chinese noodles」と表記されています。
Ramenは、日本語表記の「ラーメン」がそのままローマ字になっていますね。
今や数えきれないラーメンの種類は、郷土の特徴を持った「ご当地ラーメン」として存在しています。
ラーメンには、知りたい事があります。
日本のラーメンは、いつごろから食べられて現在に至っているのでしょうか?
こんな疑問を解消するため、日本のラーメンの歴史を調査してみました。
この記事では、
・日本のラーメンの歴史
・ラーメンと呼ばれた由来
こんな内容をまとめてみました。
ラーメンの歴史は、農林水産省の「ラーメンの歴史と現代」、新横浜ラーメン博物館「日本のラーメンの歴史」、各地のラーメンに関する記録等も参考にして整理してまとめました。
ラーメンの特徴について
はじめにラーメンの歴史を紹介する前に、ラーメンの特徴を簡単に説明しますね。
ラーメンが、日本の「蕎麦」や「うどん」と決定的に違うところがあります。
その違いは、ラーメンが「中華麺」を使っていることです。
その中華麺には「かんすい」というアルカリ塩水溶液が使われていることが特徴です。
「かんすい」が入ることで、中華麺の「風味・食感・色合い」が生れます。
麺に「かんすい」が入ってこそ、ラーメンとよべるのです。
つまり、かんすいが入っていない麺を使っているのは、ラーメンとは言えません。
ラーメンの歴史とは「中華麺」と「かんすい」の歴史でもあるのです。
「かんすい」の基礎知識
ラーメンで使う「中華麺」が持つ独特のコシと香りは、小麦粉に「かんすい」を混ぜることでできます。
その仕組みは、かんすいの主成分「炭酸ナトリウム」や「炭酸カリウム」のアルカリ塩の効果によるものです。
小麦粉に「かんすい」を混ぜるとグルテンに作用して、コシと滑らかさが増します。
理由は、小麦粉のグルテンが「かんすい」というアルカリ性の物質によって収縮するからです。
さらに、小麦粉中のフラボノイド系色素が美味しそうな淡黄色に発色します。
なので、かんすいがないと中華麺にはならないのです。
日本のラーメンの歴史
日本初の中華麺とは?
15世紀の日本では「経帯麺(けいたいめん)」が食べられていたという記録があります。
「経帯麺」には「かんすい」が使われています。
経帯麺を作るレシピは現代のラーメンの麺とほぼ同じだったと言われています。
経帯麺はレシピが存在している「日本最初の中華麺(ラーメン)」と考えられています。
中華麺とかんすいのルーツ
ラーメンの起源となる、中華麺と「かんすい」にはどのようなルーツがあるのでしょうか?
現在、日本で販売されているかんすいには「固形かんすい」と「液体かんすい」があります。
どちらも「炭酸ナトリウム」と「炭酸カリウム」の混合物で、リン酸塩が混合されている場合もあります。
健康被害を招く粗悪品の出回りを防ぐため、日本では日本食品添加物協会が発行する「かんすい確認証」がないと販売できません。
合成して作る「かんすい」が、実は天然に存在するというのです。
天外天塩・味噌・醤油、シリンゴル重曹、内モンゴルの天然素材を取扱う岐阜県恵那の「木曽路物産」のWebサイトである興味のある記事を見つけました。
木曽路物産の社員の鹿野さんは、「天然のかんすい」が本当に存在するのか半信半疑だったようです。
そこで鹿野さんはラーメンの麺の起源を調べてみると、1700年程前に内モンゴル奥地の鹹湖(かんこ:塩分濃度が0.05%以上の湖)に行きつきました。
そして、「鹹湖(かんこ)の水で小麦粉を練ると、弾力があり舌触りのいい麺ができる」ことを発見しました。
それが中華麺や餃子の皮に用いられる歴史的な「かんすいの始まり」としています。
その後、2005年に内モンゴルで採掘された天然の炭酸ナトリウムが、日本では初めて「かんすい」として正式に認可されました。
それが有名な「蒙古王かんすい」です。
麺に内モンゴルの「蒙古王かんすい」を練り込むと、通常では得られない「つやとコシ」のおいしい麺に仕上がると言われています。
現在では「蒙古王かんすい」がアマゾンで500g約1,000円前後でも入手できます。
「ラーメン」の言葉の由来
ラーメンの起源は、天然のかんすいが発見されたことでわかりました。
では、いつから「ラーメン」と呼ぶようになったのでしょうか?
ラーメンという呼称が日本で最初に使われた記録がウィキペディアにありました。
それによると、1910年(明治43年)東京・浅草に、日本人向けの中華料理店「来々軒」が開店しました。開店にあたり横浜中華街から中国人料理人を雇っています。
その主力メニューは「南京そば」「支那そば」と呼ばれていました。
この「来々軒」は、中国の麺料理と日本の食文化が融合してできた「日本初のラーメン店」としています。
では、来々軒で呼ばれていた「南京そば」や「支那そば」という言葉が、いつから「ラーメン」になったのでしょうか?
ネットを検索してみると、確かな資料は無いものの、
「はんつ遠藤のラーメン教室 第24回:ラーメンはなぜラーメンという名前なのか?」
という記事の中である2つの説を紹介しています。
- 札幌起原説
- 東京起源説
札幌起源説とは?
一つは、「札幌起原説」と呼ばれている説です。
大正時代に北海道・札幌の食堂の女将さんが名付けたという説です。
理由は、麺が柳のように見えたことから「柳の麺」と書いて「ラーメン」と名付けたということです。
また、中国人の料理人が、麺を注文されるたびに中国語で「はい」を意味する「ラー」と答えたことから名付けたという説もあると記しています。
東京起源説
もう一つは「東京起源説」です。
大正時代に浅草でラーメン屋台を営んでいた柳(りゅう)さんという方がいました。
柳さんの屋号が「柳麺(りゅうめん)」だったことから「ラーメン」になったという説です。
札幌起源説や東京起源説のように大正時代には、すでに「ラーメン」と呼ばれていたのは事実のようです。
しかし、戦後まで一般的には「支那そば」と表記していたのですが、「支那」が差別用語との認識から「中華」になり「中華そば」に名称が変更されました。
さらに中華そばの呼び方が「ラーメン」となり現在に至っているのです。
日本でラーメンは、どのように広まったのか?
資料によると、日本で初めて中華麺を食べたのは、あの水戸黄門で有名な「徳川光圀」公と記録されています。
1697年に儒学者の朱舜水が、徳川光圀に自分の国の汁そばをふるまったのが最初です。
1858年には200年続いた鎖国が解かれて翌年の1859年に開港を迎えます。
開港によって外国との交流が深まるにつれ、海外の食文化が流入し中国の中華麺を使った料理なども日本に入ってきました。
1870年横浜に中国料理店が日本で初めて誕生しました。
以降、大衆向けの中国料理店が増加していきます。
そしていよいよ、1910年に東京・浅草に日本初のラーメン店「来々軒」が誕生するのです。
1日で3,000杯にもなった繁盛ぶりだったようです。
1923年には、北海道・札幌に札幌ラーメンの元祖「竹家食堂」が営業を開始します。
1955年には、東京・中野「大勝軒」で山岸一雄氏がつけ麺を開発したのをキッカケに、東池袋大勝軒で大人気となりました。
1958年になると、日本初のインスタントラーメン「日清チキンラーメン」が発売され大ヒット。
それまでの呼称「中華そば」から「ラーメン」という呼称になり全国的に広まっていきました。
ラーメンという名前が、広く知られるようになった原点ともいわれています。
ご当地ラーメンの未来は?
ラーメンは国民食とも言われるほど、日本人には欠かせないものです。
日本には豊かな四季、風土があり、その気候によって様々な特色ある食文化や郷土料理が生れています。
郷土ごとの特色を持つラーメンを「ご当地ラーメン」と呼んでいます。
ご当地ラーメンの一例としては、
札幌ラーメン、函館ラーメン、赤温から味噌ラーメン、横浜ラーメン、京都ラーメン、徳島ラーメン、博多ラーメン
などがあります。
ご当地ラーメンや店主による独自のラーメンは、数えきれないほどの種類があります。
ご当地ラーメンは、年々新しいアイデアと工夫により進化しながら増えていきます。
また、国内ばかりでなく、海外への出店数も増加しています。
最近では「SDGs」へと世界がシフトするなかで、ラーメンの在り方を考える場面も出ています。
二酸化炭素の排出ガスを抑えるための取り組みをラーメンに生かしている店が外国にあります。
肉類を止め、動物を殺すことを止め、魚類を食べることを止めて、温暖化から地球を守ろうとする世界的な大きな運動がヴィーガンです。
オランダ・アムステルダム市内に『Men Impossible』という名前のラーメン店があります。
この店はヴィーガンで100%予約客だけのラーメン店です。
非常に人気が高まっている店だそうです。
極端な例ではありますが、このように地球環境を考えたラーメンの開発も進んで行くことでしょう。
まとめ
ここまで「日本のラーメンが歩んできた歴史を探る」について、簡単に説明してきました。
ご当地ラーメンは歴史の長いものから、最近になって新たに開発されたものまで、幅広く存在しています。
日本の四季の変化と郷土性を持つ「ご当地ラーメン」を主題としたブログですが、その幅はかなり広いのです。
ラーメンの持つ魅力と歴史を知ることで、おいしいラーメンが見つかることを願っています。
【参考資料】
・農林水産省の「ラーメンの歴史と現代」
・新横浜ラーメン博物館「日本のラーメンの歴史」