東京にはご当地ラーメンがあるのでしょうか?
調べてみると、今から約110年以上も前にそのラーメンがあったことが分かりました。
今回は、東京のご当地ラーメンの歴史と東京の文化との関係も含めて紹介します。
首都・東京の文化とラーメン
日本の首都「東京」は、江戸の昔から多様な文化を発信してきました。
ファッション、音楽、デザイン、食の文化など数えたらきりがありませんね。
東京には、ご当地「東京ラーメン」とよばれるメニューがあります。
首都、東京に生れた「東京ラーメン」とは、どんな歴史を持つラーメンなのでしょうか?
この記事では、東京の文化と歴史、ご当地「東京ラーメン」が生れた歴史と特徴を紹介します。
令和3年1月1日現在の東京都の人口は、推計で13,960,236人となりました。
これは、日本の人口の11%を占めます。
東京都は、区部(23区)、多摩地域(26市と西多摩郡3町1村)および島嶼部(2町7村)からなっています。
東京を中心とした東京都市圏という尺度で見ると次にようになります。
東京都市圏とは、東京都区部、横浜市、川崎市、千葉市、立川市、武蔵野市、さいたま市、厚木市を含む中心市に105市35町3村の郊外市町村を合わせた範囲です。
その人口は35,303,778人(2015年国勢調査)にもなり、日本の人口の30%が集まっていることになる、巨大な人口エリアです。
東京には多様な食文化があります。
その歴史を調べてみると、現在の日本に代表される日本食の食文化は江戸時代に生れたと言われています。
地方からかなりの職人さんたちが、江戸の街をつくるために集まってきたようです。
その多くは、単身赴任や独身者が多かったと言います。
その人たちの食事は、必然と外食になることが多く、外食産業が発展したと言えます。
彼らの食をささえた代表的なのは、「そば」「寿司」「天ぷら」で、立ち食いのスタイルで提供されていました。
東京神田に、最近まで立ち食い寿司がありぼくもよく立ち寄りました。
立ち食いそばは今でも多いですね。
ご当地「東京ラーメン」の歴史
江戸の食の多様な文化が生まれた東京は、様々な食を取り込む柔軟性があったのでしょうか。
東京ご当地ラーメン「東京ラーメン」の起源を調べると、1910年(明治43年)にさかのぼります。
当時、浅草の「来々軒」とされているようです。
来々軒は庶民的な中華料理店でラーメン、ワンタン、シュウマイなどを初めて提供していたといいます。
来々軒は、醤油ラーメンの発祥であり、現在のラーメンの基本を作り上げたとされています。
チャーシューやメンマをラーメンに初めてトッピングしたことが伝えられています。
ご当地・東京ラーメンの特徴
ご当地「東京ラーメン」は、定番中の定番のスタイルを今でも変わらず通しています。
メインに鶏がらを使い、豚骨や野菜を加えて沸騰させずに煮出した澄んだスープが特徴です。
味付けは、和風の醤油ダレを使っています。
スープの表面には、うっすらと脂が漂うのが特徴です。
麺は中細のちぢれ麺を使っていて、スープがからみやすくなっています。
具材はシンプルで、チャーシュー、メンマ、ネギ、なると、ほうれん草が添えられるのが一般的です。
今やラーメンは多様化して、どんどん新しいメニューへと進化しています。
各地のご当地ラーメンを調べるうちに気が付いたことは、最初にあったラーメンのスープは透明に近い「澄まし作り」のようなものだったことです。
中国から入ってきた中華麺とスープは、日本で様々に形をかえています。
東京の醤油ベースの定番の「東京ラーメン」は、北海道のご当地「函館ラーメン」塩スープと同様に当時の定番の味を守っているのも、なにかうれしい気がします。
まとめ
ここまで「江戸・東京のご当地「東京ラーメン」の歴史。定番のシンプルな和風醤油ベース」を説明してきました。
日々進化していく日本のラーメンですが、老舗が今でも継承している当時のラーメンの味を見つけるのは難しいものです。
様々なラーメンがある中で、シンプルな醤油味のスープの東京ラーメンは、これからの歴史の中で継承されていくのではないかと感じています。