広島にはご当地ラーメン「広島ラーメン」があるといいます。
先の大戦において大きな被害を被った広島には、広島平和記念公園があり、
爆心地近くには「原爆ドーム」があります。
また、400年の歴史を持つ「広島城」や「厳島神社」など貴重な文化もあります。
この広島のご当地「広島ラーメン」には、どのような歴史があるのでしょうか?
この記事では「広島の歴史と文化」「ご当地・広島ラーメンの歴史」「広島ラーメンの特徴」を紹介します。
「広島ラーメン」に見られる特徴を知ることができます。
尚、写真は「広島県」よりご提供いただきました。
広島の歴史と文化
広島市は、人口1,198,222人(2021年1月1日時点の推計)の都市です。
広島は、第二次世界大戦中の原爆投下により広範囲に渡って破壊されました。
そして、広島平和記念公園は二度と惨事を繰り返さないことを祈願して建設されました。
爆心地近くに現存する数少ない被爆建造物「原爆ドーム」として知られている「広島平和記念碑」があります。
平和と核兵器の悲惨さを世界に訴えるシンボルとして、ユネスコの世界遺産にも登録されています。
また歴史的スポットには「広島城」があり、1591年に毛利輝元が入城したという記録があり、当時にはすでに存在していたといいます。
さらに平安時代まで歴史をさかのぼると有名な歴史スポット「厳島神社」があります。
宮島を治める佐伯鞍職(さえきのくらもと)に神勅が下り、現在地を選んで御社殿を建てたのは、推古天皇御即位の年(593年)であると伝えられています。
松島、天橋立と並び日本三景「安芸の宮島」の一つとして有名になり、1996年にはユネスコの世界文化遺産にも登録されました。
ご当地「広島ラーメン」は、どのように広島の街に根付いのでしょうか?
ご当地・広島ラーメンの歴史
ご当地・広島ラーメンの発祥は戦後の復興期にあるようです。
当時の流れを資料から調べてみました。
広島の歴史で紹介したように、戦後広島の街は壊滅状態にありました。
そんな広島復興の中で、安く食べられる屋台は相当数できたと言います。
その中に中国や満州からの引揚者や中国人によって中華そばも屋台で売られていたようです。
その屋台に通った日本人が、見様見真似で中華そばを作りました。
当時、そのようにして日本人が作った中華そばの屋台に「上海」がありました。
屋台の「上海」を前身として、1957年頃に名前が「しまい」という屋台が創業しました。
これが「広島ラーメン」の元祖と言われています。
その後、「しまい」の店主から作り方を教わり開店した屋台が「陽気」で、現在につながっています。
広島には、この「陽気(ようき)」と同時期にできた「すずめ(寿々女)」があり、この老舗2店が現在の広島ラーメンを完成させたと言われています。
広島では「広島ラーメン」という呼称は、最近のことであり、ほとんどの店では「中華ぞば」あるいは「そば」と呼んでいます。
老舗の2店は以下の場所にあります。
広島ラーメンの特徴
広島ラーメンの麺は、中細麺が使われています。一部で、中太麺使う店もあります。
スープは、豚骨、鶏ガラ、野菜などでだしを取り、醤油ダレで味付けをしていて、濁りがあり茶褐色の豚骨醤油スープとなっています。
その味は、あっさり・さっぱりしています。
具材は、ねぎ・チャーシュー・モヤシ・シナチクがトッピングされています。
具材で目立つ特徴は、黒豆モヤシを茹でた「茹でモヤシ」を使っていることです。
まとめ
ここまで「広島・ご当地『広島ラーメン』の歴史。茹でた黒豆モヤシのトッピング」を紹介しました。
広島の地で生まれた「広島ラーメン」は、復興を感じさせる一杯ではないでしょうか。
歴史を振り返りながら、広島ラーメン「中華そば」をいただきたいものです。