福島県白河市のご当地ラーメン「白河ラーメン」は有名。
福島ご当地「白河ラーメン」には、どのような歴史があるのでしょうか?
この記事では「白河の歴史とそばの文化」「白河ラーメンの歴史」「白河ラーメンの特徴」について紹介します。
福島県白河市「そばの文化」と白河ラーメン
今や首都圏にも白河ラーメンを扱う店が広まっています。
白河は東北への玄関口でもあり、古くから日本そばで歴史のある町です。
白河ラーメンのルーツは、200年前の日本蕎麦作りとの関係が見えてきます。
東北の玄関口として古くから知られている、福島県白河市。
今回は、白河で生れたご当地ラーメン「白河ラーメン」の歴史を追いかけてみたいと思います。
そこで、白河ラーメンが生まれた街はどんな文化なのかを調べてみました。
白河市は福島県中通り南部に位置する市で、人口は59,390人 (2020年4月)の街です。
白河の地名は古く、奈良時代の文献において確認できます。
平安時代より東北の玄関口として有名です。
江戸中期になると「寛政の改革」で有名な白河藩主松平定信公が蕎麦(そば)作りを奨励します。
「そば」は冷害に強い作物だったためでした。
このことから、白河では「そば打ち」の技法が発展しました。
「信州」「出雲」「盛岡」と並んで「白河」が日本4大そばのひとつに数えられています。
白河はまさにそばの文化を持っている郷土性がありました。
ご当地・白河ラーメンの歴史
そば打ち技法を持つ白河に、ラーメンが発祥する経緯を調べてみました。
明治の中期、白河には「木伏源兵衛」という方が「おしるこ屋」を開いていました。
おしるこ屋の2代目「木伏源松」は、お客様が年中立ち寄れる店にするためのメニューを考えていました。
そして、源松は横浜まで出向き「手打ち支那そば」を習うことになるのです。
亀源の手打ち支那そば
そして、1921年(大正10年)に白河本町にラーメン店「亀源」を開店し「手打ち支那そば」を始めたのです。
白河本町には「白河ラーメン元祖 亀源跡」として碑が建てられています
これが「白河ラーメン」のルーツとなります。
「茶釜 本店」、白河で最古の現存店
戦後になると、娯楽の少なかった時代、映画が人気でした。
白河には「白劇」「みどり座」という映画館があり、多くの客でにぎわっていたと言います。
木伏源松の弟子が、映画館帰りの客を目当てに屋台のラーメンをはじめ、後に店を構えることになりました。
この店が「茶釜食堂」で、白河で現存する最古のラーメン店です。
現在は「茶釜 本店」といい、白河市本町55にひっそりとたたずんでいます。
白河ラーメンの「茶釜系」と呼ばれているラーメンです。
とら食堂
「茶釜食堂」より後にできたのが「とら食堂」です。
白河ラーメンを広め、現在広く展開しているラーメン店です。
白河ラーメンで有名となった「とら食堂」のルーツは「まるや食堂」という店です。
「まるや食堂」には「竹井寅次」という天才麺打ち職人がいて、弟子の希望者が多かったといいます。
竹井寅次が実家を改造して開いた店が「とら食堂」です。
弟子たちは次々と継承しながら白河ラーメン店を開きました。
「茶釜系」に対して「とら系」と呼ばれています。
その2代目、竹井和之氏は努力を重ね、ご当地・白河ラーメンの発展に努めたとされています。
白河ラーメンの特徴
伝統的な白河の「そば打ち技法」を応用したのが、白河ラーメンのちぢれ麺と言われています。
その技法は、木の棒で麺を打ち、包丁で切り出して、手でもんで麺をちぢれを作るというものです。
豚骨や鶏ガラを主体とした醤油ベースの澄んだスープが特徴です。
白河ラーメンの麺は、多加水の幅が広いちぢれ麺が特徴となっています。
具材は、ネギ、チャーシュー、メンマ、鳴門巻き、ホウレンソウなどがつかわれています。
まとめ
ここまで「福島・ご当地「白河ラーメン」の歴史について紹介しました。
ルーツは江戸中期のそば打ち技法。
日本そばのそば打ち技法の応用で、白河ラーメンのちぢれ麺がつくられていることが分かりました。
その麺はツルツルのもちもち感があり、おいしさは絶品です。
福島を訪れたら、喜多方ラーメンと合わせて「白河ラーメン」を食べてみてください。