なぜラーメンにメンマがのっているのでしょうか?
そこで今回はラーメンにメンマがのっている理由といつからなのかを紹介します。
メンマとラーメンの関係が分かります。
ラーメンになぜメンマが?いつから?
メンマはシナチクと呼ばれることもあります。
このメンマはいつごろからラーメンに乗っていたのか紹介します。
まずはメンマはいつからラーメンに乗っていたのか歴史を振り返ってみましょう。
日本にラーメンができたのは明治の初めの中華料理店にその原型があると言われています。
ラーメンに関する記事を調べてみると、当時ラーメンには豚バラ肉とメンマの煮込みをのせていたと言います。
横浜中華街(当時の南京街)ではメンマを香港や上海から輸入して使っていたとしています。
本ブログでも紹介しているご当地ラーメンで、北海道で大正1年創業の札幌ラーメンの元祖の竹家食堂、明治43年創業の東京ラーメンの元祖の来来軒ではすでにメンマがラーメンにのっていました。
メンマはチャーシューよりもずっと前からラーメンに使われていたことになります。
ラーメンにメンマがのっている理由
ではなぜ日本のラーメンにメンマがのっていたのでしょうか?
その理由は探したのですが、見当たりませんでした。
ラーメンというか中華そばの歴史を振り返ると、日本に中国からやってきた中華料理人が関係したのかもしれません。
本場中国では、おつまみや炒め物としていたメンマを日本の中華そばに載せることで、母国のイメージを出したのではないかと想像しています。
使いやすい食材でもあり、ラーメンにはとても都合のよいベストなトッピングだったのでしょう・・・
そもそもメンマ(シナチク)とは?
メンマとシナチクとは、本来同じものなのです。
2つの呼び方がなぜあるのか調べてみました。
シナチクは麻竹(まちく)という種類のたけのこを材料としています。
その麻竹を蒸して発酵させたのがシナチク「志那竹(しなちく)」です。
シナチクは中国の竹ということから、志那竹(しなちく)と呼ばれていました。なのでラーメンも志那そばと呼んでいました。
しかし、その中国政府から志那(しな)という呼び方に対して抗議があり志那を使わなくなりました。そのためシナチクをメンマと改めるようになったとしています。
メンマとは「麺の上にのせる麻竹」の略語が語源だと伝えられています。
メンマをラーメンの上にのせるスタイルは日本独自のもので、本場の中国や台湾ではおつまみにしたり炒めものにして食べられています。
メンマがのっているご当地ラーメン
メンマがのっているご当地ラーメンは多数あります。
その中から事例を選んでご紹介したいします。
ご当地・札幌味噌ラーメン
札幌ラーメンは大正11年(1922年)に始まったとされています。現在最も多いのは、やはり1950年代に始まった札幌味噌ラーメンではないでしょうか。
札幌ラーメンの具材は、チャーシュー、メンマ、ネギなどが一般的です。さらに、野菜炒めを載せるのが定番となっています。
ご当地・喜多方ラーメン
喜多方ラーメンは、札幌ラーメン、博多ラーメンとともに「日本3大ラーメン」とも言われています。
大正末期に日本で働くために中国・浙江省から渡ってきた一青年・藩欽星(ばん きんせい)が1927年(昭和2年)に創業した「源来軒」が発祥です。藩欽星は、中華麺に近い「支那そば」を打ち、チャルメラを吹きながら屋台を引いてラーメンを売り歩いていたのが発祥と言われています。
この90年を超える、手作りの「支那そば」の歴史こそが「喜多方ラーメン」のルーツです。
ご当地・東京ラーメン
ご当地ラーメン「東京ラーメン」の起源は1910年(明治43年)で、当時浅草の「来々軒」とされています。
来々軒は、醤油ラーメンの発祥であり、現在のラーメンの基本を作り上げて、チャーシューやメンマをラーメンに初めてトッピングしたことが伝えられています。
ご当地・笠岡ラーメン
7世紀後半に、吉備国を備前国、備中国、備後国に三分して設けられたことから「備中国」が生れたとされています。備中では養鶏が盛んだったため「かしわ」が手に入りやすかったと伝えられています。
備中手延べ麺(うどん、そうめん、ひやむぎ)等、製麺も盛んに行われていて、養鶏「かしわ」と製麺という組合せから「かしわ」を使った中華そばができたと言われています。
メンマと鶏チャーシュー、そして斜め切りの青ネギが特徴です。
まとめ
ここまで読んでいただきありがとうございます。
今回は、ラーメンになぜメンマが?、メンマ(シナチク)とは?、メンマがのっているご当地ラーメンについて紹介いたしました。
ラーメンを食べる時に、メンマの歴史を振り返るのも美味しさを添えるのではないでしょうか。