蔵の街で有名な福島県喜多方市。
山々に囲まれた盆地で夏は暑く、冬は寒い土地がらです。
ここ喜多方市には古くからご当地ラーメン「喜多方ラーメン」があります。
喜多方ラーメンは、札幌ラーメン、博多ラーメンとともに「日本3大ラーメン」とも言われています。
喜多方ラーメンにはどんな歴史があるのでしょうか?
この記事では、喜多方の街の文化、喜多方ラーメンの歴史、特徴を紹介します。
喜多方ラーメンの歴史を知って食べると、おいしさがさらに増すのではないでしょうか。
喜多方ラーメンの発祥の土地と文化
喜多方市は、福島県会津地方の北部にあり、県内の市では最西端に位置する人口 4万6270人 (2020年3月)の街です。
喜多方市は、飯豊連峰からの豊富な伏流水に恵まれた土地です。
水は、硬度13の超軟水で、その源泉は「平成の名水百選」にも選ばれています。
古くから酒・味噌・醤油などの醸造業が栄えてきました。
喜多方の清酒醸造の歴史は古く、寛永8年(1631)から営んでいます。
多い時には約30軒近い酒蔵が存在していましたが、現在は11蔵元がその歴史と技術を受け継ぎ造り続けています。
1818年(文政元年)創業の笹正宗、1918年(大正7年)創業のほまれ酒造、290年の歴史のある小原酒造などが有名です。
また、喜多方は蔵の街として有名で、その数は四千棟余といわれています。
しかし、観光のために特別に整備したのではありません。
現在も人々が住んでいて生活の一部となっています。
蔵がこんなに多いのは、良質の水と米に恵まれた土地ならではの理由があります。
現在も現役で酒蔵、味噌蔵として使われています。
つまり、醸造業を営む場として蔵は最適な建物だったということです。
また、蔵をたてることは男の夢でした。
「四十代で蔵を建てられないのは、男の恥」
自分の蔵を建てることが誇りの対象でもあったようです。
また、治十三年の大火で焼け残ったのは蔵だったことから、今でも蔵を誇りに蔵とともに生活を営んでいる文化なのです。
ご当地・喜多方ラーメンの歴史
喜多方ラーメンのルーツは、はっきりと明確に残っている珍しいケースです。
大正末期に日本で働くために中国・浙江省から渡ってきた一青年がいました。
彼の名前は、藩欽星(ばん きんせい)と言い、1927年(昭和2年)創業の「源来軒」創業者です。
資料によると藩欽星は、中華麺に近い「支那そば」を打ち、チャルメラを吹きながら屋台を引いてラーメンを売り歩いていたのが発祥と言われています。
この90年を超える、手作りの「支那そば」の歴史こそが「喜多方ラーメン」のルーツなのです。
その後、喜多方市内にあった「まこと食堂」や「坂内食堂」をはじめ多くの食堂が当時の「支那そば」(中華そば)をメニューに取り入れました。
櫻井食堂は創業が明治37年だから、1927年(昭和2年)創業の「源来軒」よりもさらに昔から食堂を営んでいたのでしょう。
食堂がラーメンを取り入れたことから、ラーメン店の屋号に「食堂」がついているのが喜多方のラーメン店の特徴でもあります。
喜多方ラーメンの特徴
喜多方ラーメンの特徴は、水と言っても過言ではありません。
先に説明したように、飯豊連峰からの伏流水「硬度13の超軟水」が豊富であったことがスープの味の決め手となっています。
伏流水でつくられた、味噌や醤油が喜多方ラーメンの味をさらに美味しく仕上げていったのです。
喜多方ラーメンの豚骨ベース醤油味のスープは、透明であっさりした味わいです。
近年は、種類も増えてWスープのように豚骨と煮干しのベースをブレンドしたり、塩味や味噌仕立てなど喜多方ラーメンのメニューも増えています。
喜多方ラーメンの麺は太麺です。
コシが強い独特の縮れた平打ち麺で「熟成多加水麺」と呼ばれています。
喜多方ラーメンに使われる具材は、チャーシュー、ねぎ、メンマ、なるとのシンプルなものです。
まとめ
ここまで福島・ご当地『喜多方ラーメン』の歴史。大自然と蔵が育てたラーメンを紹介してきました。
飯豊連峰からの伏流水と蔵で熟成された醤油など、喜多方ラーメンは様々な美味しい要素が組み合わされてできた、ご当地ラーメンでした。
福島に足をはこんだら、喜多方の酒蔵の美味しい日本酒と喜多方ラーメンを楽しみたいものです。
【参考資料】
喜多方観光物産協会:http://www.kitakata-kanko.jp/
蔵のまち喜多方 老麺会:http://www.ramenkai.com/
喜多方観光協会:http://www.kitakata-kanko.jp/