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ご当地「酒田ラーメン」の歴史と特長。山形県酒田市の自家製麺と澄んだ醤油スープ

東北地方のラーメン
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山形県酒田市にご当地で隠れた人気の「酒田ラーメン」はどんなラーメンなのか?

そこで今回は酒田ラーメンの歴史と特長をフカボリし紹介します。

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山形・酒田ラーメンが生まれた土地の歴史と文化

北前船寄港地 日本遺産
北前船寄港地 日本遺産

山形県の庄内地方が発祥とされているご当地「酒田ラーメン」

酒田ラーメンは、独特の特徴があると言われています。

山形のご当地「酒田ラーメン」が発祥とされる酒田市にはどんな歴史と文化があるのでしょうか?

酒田ラーメンの歩んできた歴史と庄内地方の酒田市に根付いたご当地ラーメンの特徴を紹介します。

山形県の酒田市は県北西部に位置する庄内北部の街で酒田市の推計人口は、99,376人(2021年5月1日)です。

江戸時代には、日本海側の山形県酒田や北海道から江戸や大阪方面に、米や魚、特産物が船で運搬されていました。

その船の航路には、西回りと東回りがありました。

日本海側から瀬戸内海を通り大阪や江戸に回る「西回り航路」と津軽海峡を通り黒潮に逆らって南下する「東回り航路」がありました。

東回りは黒潮に逆らうため経費もかかりましたが、西回りは経費も安く運べました。

西回りの船を「北前船」と呼ぶようになり、頻繁に使われるようになりました。

北前船は「千石船」ともよばれ、現在の米150トンを積むことができる大きさでした。

最大の船は約360トンも積めたといわれていて、巨大な帆1枚で逆風でも進めるすぐれた帆走性能のある船だったようです。

現在の酒田市こそ、北前船の寄港地として繁栄した街なのです。

その歴史は酒田市にたくさん残っています。

山形県酒田市にはこのような歴史と文化があります。この酒田市と酒田ラーメンがどのように結びつくのでしょうか?

酒田市のご当地「酒田ラーメン」の歴史

酒田ラーメン ワンタン入り
酒田ラーメン ワンタン入り

酒田ラーメンの起源をいろいろな資料から調べてみました。

時は1926年(大正15年)にさかのぼります。

酒田ラーメンは中国人が「支那そば屋」として開業したのが始まりとされています

また、ある資料によると酒田市にラーメンが大正15年に発祥した説には2つの店あるとしています。

「新盛軒」「財源軒」で、どちらも店主は中国人だったようです。

当時、酒田ではめずらしかった、「煮干し」と「昆布」でだしを取ったスープが特徴だったと伝えています。

酒田市のご当地「酒田ラーメン」の特徴

酒田ラーメン 煮干しだし
酒田ラーメン 煮干しだし

ご当地「酒田ラーメン」の特徴は、煮干しと昆布だしのスープを醤油で味付けした澄んだスープです。

酒田ラーメンのスープには煮干しの他に「トビウオの焼干し」も使われています。高価な素材をつかったスープとなっています。

醤油味のスッキリしたスープは、最後まで飲み干せるのがご当地「酒田ラーメン」なのです。

酒田ラーメンの麺は「多加水麺」を使っていて、自家製麺で作る店が大半を占めています。

これは、全国的に見てみ酒田市にしかない特徴ではないかと推察します。

酒田ラーメンの具材は、チャーシュー、メンマ、ネギを基本としていて、いたってシンプルになっています。

酒田ラーメンが高価な素材を使っている背景には、かつて北前船の寄港地として繁栄した酒田の街の贅沢な食文化が根付いたことが影響していると思います。

当時の酒田が寄港地として多くの商人たちでにぎわっている様子がイメージできます。酒田ラーメンが美味しい原点かもしれません。

まとめ

ここまで山形県酒田市が発祥とされるご当地「酒田ラーメン」の歴史を紹介しました。酒田ラーメンの独特の自家製面と澄んだ醤油味のスープは格別な味わいがあります。

はずれが無いと言われる「酒田ラーメン」は、最後まで飲み干せるスッキリとした醤油味のスープが特徴です。山形県酒田市を訪れたら、ぜひ足を止めて「酒田ラーメン」の一杯をお忘れなく!